京都地方裁判所 昭和44年(む)24号 命令 1969年3月29日
主文
本件各勾留取消請求はいずれもこれを却下する。
被告人新藤伸夫、同沢井一美につき、保釈を許可する。
保釈保証金額は、被告人新藤伸夫、同沢井一美につき、いずれも金一〇万円とする。
被告人新藤伸夫の住居を
京都市東山区今熊野南日吉町一一の一九に、
被告人沢井一美の住居を
大阪府岸和田市上松町六一〇の一五七沢井孝臣方に、いずれも制限する。
理由
一弁護人の本件各請求の趣旨、理由はいずれも別紙第一、第二のとおりあり、これに対する検察官の意見は別紙第三のとおりである。
二(一) 検察官においては、被告人真砂多計志はすでに昭和四四年三月一七日当裁判所裁判官の同日付保釈許可命令に基づき身柄を釈放されているから、その後になされた同被告人に関する本件請求は刑事訴訟法八七条項によりその効力を有せず、従つて不適法な請求である旨主張している。
同被告人が検察官主張のとおりすでに保釈により身柄釈放中であることは一件記録によりこれを認めることができるけれども、当裁判官としては、次に述べる如き理由により、検察官の右主張は法的根拠に乏しく同被告人に関する本件請求は適法な請求であると考える。
(二) すなわち、刑事訴訟法八七条二項は、勾留取消請求があつたけれども未だそれについての裁判がなされていない間に裁判所又は裁判官によつて保釈許可、勾留の執行停止、当該勾留取消請求とは別個の請求に基づく勾留の取消又は職権による勾留の取消などの裁判がなされ、もしくは勾留状の失効ということがあつたときは、次記注1、2の如き意味において、当該勾留取消請求を受けた裁判所又は裁判官としてはもはや右請求についての判断を示す必要がないというべきだから、右請求はその効力を失うという法意を明らかにしたにすぎないと解すべきであり、すでに保釈中または勾留の執行停止中の被告人からなされた勾留取消請求もまた効力がないというまでの法意を定めたものではないと解すべきである。なぜなら、保釈中又は勾留の執行停止中の被告人であつても、保釈許可又は勾留の執行停止の裁判後における事情によつて勾留理由そのものが消滅したと認められる場合においては、勾留そのものを取消されるべき利益を有しているのであつて、その利益が先に保釈許可又は勾留の執行停止を受けたということの故に爾後一切奪い去られてしまつてよいという合理的根拠はどこにも見い出しえないからである。
注1 裁判所又は裁判官において保釈許可、勾留の執行停止という裁判を行なつたということは、その前提として勾留自体は依然として取消すべきではないとの判断をしたが故に、そのような保釈許可などの裁判をなしたのだと解されるから、そうである以上、実質的にはその時点における勾留取消の可否についてすでに裁判所又は裁判官による判断がなされたというべきである。
注2 すでに別個の勾留取消請求に基づき取消され又は職権によつて勾留が取消されたという場合、もしくは勾留状の効力が消滅したという場合においては、いずれも当事者からさらに勾留の取消を請求する実益は存しないというべきである。
(三) そうであるとすれば、被告人真砂多計志の本件勾留取消請求が不適法な請求であるという検察官の前記主張は失当であるというべく、同被告人についての請求も適法な請求であるから、裁判所又は裁判官としては同被告人に関する勾留取消事由の存否につき実体的な判断をするべきである。
三よつて、以下各被告人につき勾留取消事由の存否を判断する。
(一) 弁護人は、本件各勾留の取消事由として、現時点においては各被告人につきいずれも罪証隠滅のおそれならびに逃亡のおそれが現存しないと主張しているのであるが、それに対し、検察官は、「弁護人の右主張は、実質的にみて本件各勾留裁判当時から各被告人につき勾留理由が存しないということを主張していることになり、その意味においては本件各勾留裁判そのものの当否を問題にしているのだというべく、そうであるとすれば、本来勾留裁判に対する準抗告の申立事由として主張さるべきものを勾留取消請求の事由として主張していることに帰し、勾留裁判に対する準抗告制度と勾留取消制度との区別を無視した根本的に誤つた主張である。従つて、勾留取消請求についての裁判をなすべき裁判所又は裁判官としては弁護人の主張しているところを考慮して裁判することは許されないものである」旨主張している。
実質的に検討してみるとき、弁護人の主張が本件各勾留裁判当時から各被告人につきいずれも勾留理由としての罪証隠滅のおそれならびに逃亡のおそれが存しないという旨を主張するものであることは検察官の主張するとおりである。
しかしながら、弁護人としては本件各勾留裁判がなされた以後における事情の変動(すなわち、本件各被疑事件についての捜査の進展状況、各被疑事件がいずれも被告事件へと進展した経緯、日時の経過過程においてみられた各被告人の身上関係の安定などの諸般の事情)に照らして結果的に考えてみるときは、本件勾留裁判当時においても各被告人につきいずれも勾留理由が存していなかつたということが明らかになつた(従つて、現時点において勾留理由が存しない)というべきであるという旨を主張しているのであつて、それは本件各勾留裁判当時から勾留理由のなかつた旨を主張するものではあつても、本件各勾留裁判当時以後の事情変動ということに基づきその旨を主張するものであるから、勾留裁判に対する準抗告申立事由としてかえつて主張しえない事由であるというべく、むしろ勾留取消請求の事由としてのみはじめて正当に主張しうることがらというべきである。そのことは事後審である準抗告裁判所においては原裁判である勾留裁判当時以後に発生した事情変動を考慮することが許されない(もつとも、当該裁判所が原裁判の当否を裁判するのではなく、職権による勾留取消の裁判を行うというなら、そのような事由を考慮することはできる)という事理に照らしてみても明らかなところというべきである。
そうであるとすれば、この点に関する検察官の右主張は失当であるというべきである。
(二) そこで、まず、各被告人につき勾留理由としての罪証隠滅のおそれが消滅したか否かの点を判断する。
1 本件各勾留裁判当時、如何なる意味において各被告人につき罪証隠滅のおそれありと認定されたのかは必ずしも明確ではないが、それが起訴前の勾留裁判であつたことに鑑みるときは、各被告人(当時は被疑者)につき主として適正な捜査活動(検察官または司法警察職員による各被疑者、共犯者と思われる関係者、その他目撃者などの参考人に対する適正な取調、関係場所などの適正な捜索、差押等)を妨害するおそれがあるという意味における罪証隠滅のおそれがあつたと判断されたものではないかと思われる。
ところで、その後の日時の経過とともに各被疑事件に関する捜査は完了し、今日ではすでに事件は被疑事件から被告事件へと進展している段階にあるのであるから、現在においては各被告人につき前述の如き適正な捜査活動を妨害するという意味における罪証隠滅のおそれはもはや問題にする余地がなくなつたというべきである。
2 しかしながら、本件各被告事件は未だ第一回公判期日も開かれていない段階にあるのであるから、適正迅速な裁判を実現するためには、今後の公判審理の過程において予想される各種の証人が公判廷における適正な供述をなしえなくなるような不当な働きかけを受けるなどの事態が生じないように配慮する必要性はなお存続しているというべきである。
これをさらに具体的にいえば、本件各被告事件が現在全国各大学においてみられる一連の大学紛争を背景とし、学生を中心とした多数人の集団による組織的計画的な犯行ではないかと認められるところから、それらの集団ないしは組織の実態と本件被告事件との関連、本件各被告人のそれらの集団ないしは組織内における地位、本件公訴事実についての共謀の日時、場所、内容、参加者、本件各被告人の関与の程度、本件公訴事実における実行行為の具体的状況、本件各被告人の右実行行為への関与の程度などの諸点について、今後なお公判廷において本件犯行に関与したと思われる学生その他の関係者、目撃者などを証人として尋問し、同人らをして適正な供述をなさしめる必要が予想されることであるから、これら将来において証人として尋問されることの予想されるような関係者に対する不当な働きかけないしは同人らとの不当な通謀はこれを妨止すべく、その意味において、本件各被告人自らがそのような罪証隠滅行為を行うと疑うに足りる相当な理由があると認められるときには、本件各被告人についての勾留をなお継続しなければならない段階にあるということである。
3 ところで、本件被告事件において将来予想される証人のうち、目撃証人は主として本件事件当時警備活動等に従事していた警察官であるから、そのような警察官の警備を受ける学生であるという地位にある各被告人らが、罪証隠滅行為を行うため、これら警察官に対して働きかけるということは考えられず、仮に警察官以外にも私人の目撃者がおつたとしても、各被告人がそのような目撃者の所在を知つているということも予想されないところであり、従つて各被告人がそのような目撃者に働きかけて同人らの公判廷における供述を曲げさせるということも現時点においては考えられない。
4 次に、被告人らとともに本件公訴事実に関与したのではないかと思われる関係学生もまた将来公判廷において証人として尋問されることが予想されることは前述のとおりであり、その際そのような関係学生達は容易に真実を供述しないことがありうると思われるけれども、仮にそのようなことがあつたとしてもそれは本件各被告人らが同人達と通謀したとか或は同人達に不当な働きかけを行つた結果というより寧ろ当該関係学生自らの物の考え方ないしは信念ともいうべきものに基づく結果そのような態度に出るのだと考えるのが相当であるから、本件各被告人らにつき右の如き関係学生達との通謀などによる罪証隠滅のおそれがなお現存していると認めることは相当ではない。
5 その他、現時点において各被告人らが本件被告事件についての罪証を隠滅すると疑うべき点は何も存しないというべく、結局、各被告人らにつき勾留理由としての罪証隠滅のおそれは現存しないといわなければならない。
(三) 次に各被告人につき勾留理由としての逃亡のおそれが消滅したか否かの点を検討する。
1 本件各勾留裁判当時においては、各被告人(当時は被疑者)はいずれも自らの氏名、本籍、住居、職業、生年月日等の身上関係を捜査官に対して必ずしも明確にはしておらず、捜査官としてもそれらの点について確認できない状況にあつたのであるから、当時各被告人の身柄を釈放するということになれば、同人らは本件被疑事件の故に逃亡し、同人らの捜査当局への出頭ないしは将来起訴された場合における公判期日への出頭などを確保することはほとんど不可能に帰してしまうということが十分に予想されたところであるから、その当時において各被告人(当時は被疑者)につき勾留理由としての逃亡のおそれがあると認めることは相当であつたと思われる。
2 ところで、爾後における事情の変動をみるに、各被告人ともその後捜査官に対して自らの身上関係を明らかにしたのであり、捜査官の方でもそれらの点についてすでに確認済となつたこと、しかしてそれによると各被告人はいずれも京都大学、横浜国立大学といつた国立大学に籍をおく学生であり、今までに何らの前科前歴を有せず、捜査官の取調を受けるのも今回がはじめてであるということなどの事実が確認されたのであり、その他各被告人の両親、弁護人などから自分達の責任において各被告人の公判期日等への出頭を確保する旨の身柄引受書が当裁判所に提出されるに至つたこと、このほか各被告人とも学生集団ないしは組織に加わつて活動する者ではあるが、その集団ないしは組織内における地位もいわゆる幹部的立場にあるものではないと認められ、従つて組織を利用して逃亡を企てるということも極めて蓋然性に之しいと考えられること、などの諸点を指摘することができ、これらの点を総合して考えてみるときは、本件勾留裁判当時において認められた各被告人についての逃亡のおそれは、その後相当程度に減少したものと認めるのが相当である。
3 しかしながら、他方、本件各勾留裁判当時においてはいずれも未だ起訴されるか否か未定の被疑者という地位にあつた者が、今日ではすでに起訴せられて被告人としての地位に立たされるに至つたという点での事情変動も認められるところ、今日の我国社会において一般人が受けとる「起訴」ということに対する現実的心情に照らすときは、仮に本件が学生の被告事件であつて一般の刑事被告事件とは相当色彩が異なる性質の事件であるということを考慮に入れたとしても、なお本件各被告人につき被疑事件当時に比し、逃亡のおそれが相対的に増大したと考えざるをえない。
4 このほか、各被告人につき前述の如き身柄引受書が提出されているが、それらはいずれも、各被告人保釈許可の裁判に基づき身柄を釈放されたときにおいて各身柄引受人が自らの責任で各被告人の出頭を確保するという趣旨のものであるにすぎずして、各被告人が勾留自体を取消されそれに基づき身柄を釈放された場合においてまで身柄の出頭を確保するという趣旨は含まれていない身柄引受書なのであるから、このような意味をしか有しない身柄引受書が提出せられたということによつては、各被告人の勾留自体を取消してもなお身柄の出頭確保が可能であるということにはならないといわざるをえない。
5 なお、被告人真砂多計志について本件勾留取消請求に先立つ昭和四四年三月一七日保釈保証金額一〇万円という条件での保釈許可裁判がなされているのであるから、その時点において、同被告人については右金額の保釈保証金を積ませたうえで身柄を釈放するのでなければ今後の公判期日等への出頭が確保されえないとの判断が、被告人の身柄の措置を考えるべき立場にある裁判官によつてなされたのであり、そのことはとりもなおさずその当時において同被告人について認められる逃亡のおそれが勾留自体を取消してもなお出頭の確保をなしうるという如き程度にまでは減少していなかつたという判断が保釈許可の裁判をなした裁判官によつてなされたということであり、この保釈許可裁判はその後準抗告裁判所によつて取消されるというようなこともなく今日なおその効力を有しているのであるから、いま同被告人に関する勾留取消請求についての裁判をなすべき裁判官としては、右保釈許可裁判の当否を判断する上級審ではないのであるから、その後の事情変動が認められない以上昭和四四年三月一七日現在において同被告人について認められる逃亡のおそれの程度が保釈保証金一〇万円を積ませるのでなければ防止できない程度のものであるという右保釈許可裁判をなした裁判官の判断と異なる判断をなすべき根拠に乏しいものとわざるをえない。
しかるところ、右同日以後今日までの日時の経過の過程において同被告人に関する逃亡のおそれの程度が右保釈許可裁判当時の程度から勾留自体を取消してもなお出頭確保が可能だという程度にまで減少したものと認むべき資料は一件資料中のどこにも見出すことはできない。
6 以上の如き事情変動の過程を総合して考えてみるときは、各被告人につきいずれも勾留理由としての逃亡のおそれがなお現存しているものと認めなければならない。
四以上によれば、結局のところ、各被告人につき現在なお勾留理由としての逃亡のおそれが現存していると認めるのが相当であり、各勾留を取消すべき事由は存しないというべきであるから、弁護人の本件各請求はいずれも失当であつて却下をまぬがれないものである。
五各被告人につき現在なお勾留理由としての逃亡のおそれが存続していると認めなければならないので各勾留自体を取消すことのできないのは右に説明したとおりである。
しかしながら、本件事案の性質、各被告人の身上関係、各被告人の資産状態、その他諸般の事情を総合的に考慮してみるときは、現時点において各被告人につき存すると認められる逃亡のおそれの程度は、各被告人につきいずれも保釈保証金額一〇万円を積ませ、かつその住居を適切に制限することによつて十分これを防止できる程度のものと解されるのであり、このほか、各被告人につきいずれも刑事訴訟法八九条各号に該当するが如き事由が現存するとは認められないのであるから、被告人に対する無用な身柄拘束はできうるかぎりこれを差し控えるべきであるという刑事訴訟法の法意に鑑みても、この時点において、各被告人につきいずれもその住居を適切に制限したうえ保釈保証金額を一〇万円と定めて保釈を許可するのが適当であると認められる。
よつて、刑事訴訟法二八〇条一項、三項、九〇条、九二条を適用し、検察官の意見を聴いたうえ、職権によつて主文第二項以下のとおり現在なお身柄拘束中である被告人新藤伸夫、同沢井一美の保釈を許可する。
よつて、主文のとおり命令する次第である。(栗原宏武)